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2011年3月 2日 (水)

入間の語源は?

■1.アイヌ語説

いるまおい(アイヌ語で熊の足跡)→いるま→入間→入間川、とか。これは初耳。ほんと?

 http://irumaoi.blogspot.com/

そこで、以下の辞書(ネットで一番詳しそう)で単語レベルで調べてみました。

 http://homepage3.nifty.com/tommy1949/aynudictionary.htm

上記辞書によると、「足跡」では「apir(獣の)足跡」「ru」「i'ruwe (獣の)足跡」「rukoci~の足跡」「ruwe」「ruwehe」、「熊」では「kamuy」「kamuy'caca」「kim'pe」「kim'un'kamuy」「si'yuk」という読みの語が出てきましたが(その他にも似たような語も見ましたが)「い」「いる」「いるま」…「まおい」や「おい」で、そういう意味の語は出て来ません。一番近いのは「i'ruwe」。

逆に、そのものズバリはコレ↓

 「irma 逆さまつげ 」(^^;

ここでありそうな複数の単語を合わせると…

 iri 皮をはぐ
 ma  焼く
 o   
  i   o + i で~が沢山ある所。

合わせると、良く皮を剥いで焼く(いた)ところ。文法的に合っているか知らんヌップ!

o i の使い方で参考にしたのはここ↓。この人凄いなぁ。

 http://www.geocities.jp/otarunay/index.html#top

この人の辞書によると、例えば「マオイ」なら、

 maw
 o i

「ハマナスのあるところ」となります。入間とは関係無さそうですが…

で、先の i'ruwe を使うと

 i'ruwe
 o i

「獣の足跡が沢山あるところ」が出来ますが、「i'ruwe o i」は「いるまおい」じゃないですねよ。方言とか語尾変化とかあるのかなぁ…

そもそも「入間」は7世紀ごろに出来た「入間郡」が語源でしょうから、入間郡の語源を探らなければいけません。アイヌ語説を採るなら、7世紀以前のアイヌ語の発音と意味を直接・間接に知らなければいけませんが、アイヌ語は文字を持たなかった言語であるため、直接的に証明するのは困難と思われます。

というわけで、アイヌ語説は未証明に終わりました。

というか、7世紀ごろといえば、渡来人が沢山入ってきて、朝廷にも渡来人の名が散見される時代です。やまとことばに該当する語が無いなら、古代朝鮮語説が有力なんじゃないでしょうか? アンチ朝鮮な人なら、「古代朝鮮語由来」より「アイヌ語由来」の方が認めやすい、というのがアイヌ語説の真実だったりして。

■2.古代朝鮮語説

Wikipedia に

 「入間川」や、その流域の「入間町」の「いりま」や「いるま」などの名は、
  古代朝鮮語のiru-omiが転じたものと考えられている」

とありますが、「いるまおい」以上にソースが不明です。

 因みに Google 翻訳で「日馬」を日本語→現在韓国語に翻訳すると、
 発音は「ilma」になりますが、ま・さ・か?
 日馬で思い起こすのは力士の日馬富士(はるまふじ)と、
 日出処天子:厩戸王子=聖徳太子です。

一方、ここ↓などには、武蔵野国全体に渡来人の足跡が認められる、との意見があります。

 http://www.musashigaku.jp/index.html

 > 高句麗系渡来人:高座(大磯)→高麗郡
 > 新羅系渡来人 :新座

新座って新羅が語源だったんですね!

 > 高座郡は置かれたとき高倉郡と書かれていた。
 > 読み方は高倉・高座どちらも「たかくら」である。
 
現在の入間市の中心部に「高倉」という地名が残っています。これも高句麗系渡来人由来だったとは…

古代朝鮮系渡来人の影響を多かれ少なかれ否定する人(説)も多いですのですが、上記サイトは読んでいても違和感が少なかったです。
 
おっと、古代朝鮮語説は発散してしまいました。

■3.おまけ

入間詞(いるまことば)または、入間様(いるまよう)

 http://kotobank.jp/word/%E5%85%A5%E9%96%93%E8%A9%9E

これも知りませんでした。世の中知らないことばかり。一生勉強ですね。

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コメント

アイヌ語には、「ヲシテ文字」という文字が有ります そしてアイヌの「古事記」「日本書紀」ともいえる「ホツマツタエ」というのが有って、その古代文献・資料は「ヲシテ文字」で書かれているとのことです アイヌ語に文字が無い、という虚偽は訂正して下さい 入間市の「高倉」は文字通り、いろいろな(食糧など)物を貯蔵する、高くした(高床式のような)+倉の意味です 高句麗:こうくり と高倉:たかくら(こうくら、ではないです)は無関係です それに高句麗はハングルの発音では「コクリョ」です(「こうくり」は日本語読みです)+新羅:シラギもハングルでは「シンラ」という撥音です 新座:にいざ、と「シンラ」では違い過ぎますよね?

投稿: | 2017年8月 8日 (火) 16時32分

>文字を持たなかった
 文字を持っていたとの説も確定はしていないようですので、【言語として特定の文字で表記する方法は定まってはいなかった。】と訂正させて頂きます。

>ヲシテ文字・ホツマツタヱ
 学者じゃないのでコメントは差し控えさせて頂きます。

>ハングル
 そもそもハングルは高句麗語じゃないですよね。

>高倉の地名
 高倉福信がキーマンだったりして?

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%80%89%E7%A6%8F%E4%BF%A1

 【宝亀2年(771年)武蔵国の東山道から東海道への移管について[25]、国守であった福信が関与していると考えられる。】

現存する高倉の地名の分布との関係を探ると面白いかも?

所謂「半島がルーツネタ」は、昨今の嫌韓(嫌朝鮮)ブームの中ではなかなか大声では言えませんが、中には全否定できない案件も多いと思います。

投稿: Pawpaw | 2017年8月 8日 (火) 17時38分

こんにちは、
語源を調べると面白いですね。
特に渡来人に関することは興味深いことが多いです。
入間市にはアケボノゾウの足跡という化石があります。獣の足跡と関係があるのかも知れませんね?

投稿: | 2021年4月23日 (金) 16時40分

入間市の入間川河床でアケボノゾウの足跡が、狭山市の入間川左岸の崖からアケボノゾウの骨格化石が発見されてますね。ゾウの足跡を熊の足跡と見間違ったのがそもそもの語源としたら面白いですね!

投稿: Pawpaw | 2021年4月26日 (月) 14時08分

ttps://www.aoi-eng.co.jp/river/yahagi/kawana/r011320.html

イリは用水に使われる言葉が多いとのことで(ちなみに用水を引き入れるための水門のことを「いり」といいます)、確かに、いる、いり、という言葉は、要る、射る、入る、炒る、でも「流れ込む」「はいっていく」(炒るは、火に投じる)という動作や状態を表す言葉ですから、
「いる」の語源が水が流れ込む様子から形成された可能性は少なくありません。


入間野、というのは、律令時代にその名が確認できますが、この地の入間川は、武蔵野に秩父の山側から流れ込む大きな川です。


イリ、イルの由来は調べきれていませんが、イリ川というものがウィグル地区にあり、少なくとも西暦600年のことを記した中国史書にあり、周辺国の人も「イリ」と言いますから、かなり古い地名かと思われます。
「川」のことをイリ、と呼ぶ人達がいたのかもしれません。

高句麗語にて、イリ=水源、のような意味がある可能性があります。
入間川のちかくに高麗川もあり、武蔵の国は朝鮮地域の移配が多くされた地域で、地名の「いり」の関連を考えてしまいますが、
他方、上記サイトの「いりやま」は愛知にあり、高句麗移民や高句麗ルーツと目される墳墓の出土地域からも離れており、
「いり」という言葉は高句麗人が渡来するはるか以前に存在していたかもしれません。


日本語にはいくつか、様々なルートからの借用語がありますが、「いり」もその一つかもしれません。

イリ川、高句麗の水源を表すイリ、そして日本で用水や水の動きを模した「いり」、
これらがはるか昔、西方から渡来した言葉である可能性はあるかもしれません。

最初期の高句麗人の出自は不明ですし、古代ではこの地は遼河がありその上流は西方に続き、歴史上、黄河流域の古代中華王朝からの移入もあり、ありえない話ではないでしょう。

投稿: | 2022年4月 2日 (土) 12時18分

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