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2011年3月25日 (金)

狭山の由来と狭山池

入間に続いて狭山の地名のルーツを探していて、大阪狭山市に狭山池という名の人工池(湖)があるのを知りました。しかもこの池、日本最古のダム式ため池なんですね。

■狭山池
 現大阪府大阪狭山市にある、日本最古のダム式ため池。武内宿禰が造ったとされる。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E6%B1%A0_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C)

 【また堤体の盛り土が幾層にも積まれ、その1部に植物層を含む層があることが判明し中国や朝鮮から伝わった敷葉工法(しきはこうほう/葉のついた枝を土留めに使う工法)が用いられていることがわかった。】

 伝わったのが技術だけなのか、人間共々なのかは分かりませんが、実際に作った人の中に渡来人が居た、というのはごく自然な考え方と思います。

■武内宿禰(たけのうちのすくね)

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0

 実像については諸説あり。個人的には渡来人ではないかと思っていますが、さて?

■高麗若光(こまのじゃっこう)

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E8%8B%A5%E5%85%89

 高句麗王族と言われる渡来人。

 ※注意:Wikipedia の高麗若光に関する現在の記事は、以前のものに比べ、やや中立から離れているように思いますので、補正フィルターをかけてご覧下さい。

 そんな記事中に、以下のような記述があります。

 【生前若光は日頃敬っていた猿田彦命を祭り一社を設け、そこに武内宿禰を祭って崇拝したという(のちに白髭明神と呼ばれた)。】

 渡来人に未来を与えてくれた恩から武内宿禰を崇拝したのか、「同郷の祖」としての尊敬の念もあったのか、色々考えられて面白いです。

■大阪府立狭山池博物館

  http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/

 1度行ってみたいです。

■行基(ぎょうき)

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA

 奈良東大寺の改修が大きな業績ですが、8世紀に河内国の狭山池を改修したそうです。記事中にはこんな記述が。

 【父高志才智、母蜂田古爾比売の長子として、河内国(のち和泉国)大鳥郡に生まれた[1]。生家は後に行基によって家原寺に改められた所で、現在の大阪府堺市にあった[2]。高志氏はもと越氏(越史)と称し本貫は越後国であったが、高志才智は和泉国に移住した一族であるという[3]。越氏は百済国から来朝した漢系渡来人王仁の子孫である西文氏の一族とされる[3]が、行基の出自を百済系渡来人の子孫[4]、特に百済王家の子孫とする文献[5]もある。】

 またまた渡来人!

■東大寺

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA

 国分寺の中心:総国分寺なのですね。

■良弁(ろうべん)

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%BC%81

 東大寺の開祖です。手塚治虫の火の鳥で一番好きな「鳳凰編」の登場人物の一人です。面白いのはその出自。

 【持統3年、相模国の?部氏の出身と言われ義淵に師事した[1]。別伝によれば、近江国の百済氏の出身で野良作業の母が目を離した隙に鷲にさらわれて、奈良の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを義淵に助けられ、僧として育てられたと言われる[1]。】

 またしても渡来人の子孫!

■韓人池
 良い資料がないのですが、

  http://urano.org/kankou/tawara/tawa21.html

 武内宿禰が渡来人に造らせた、というのは信頼度が高いです。

■元狭山村

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E6%9D%91

 入間郡元狭山村の成立は1889年だそうで、「狭山茶」の直接の名前の由来となった「狭山会社」の設立が明治8年(1875年)ですから、後者より後に名付けられた村名です。

  http://www.alit.city.iruma.saitama.jp/07tea-museum/13history.html

■狭山村

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E6%9D%91

 こちらは旧神奈川県北多摩郡、現東京都に属する「狭山村」で、1889年の成立以前にも「狭山村」があったことが分かります。ということは、狭山会社より古い可能性があります。

■北多摩郡

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%9A%E6%91%A9%E9%83%A1

 北多摩郡で調べたら、1875年に【後ヶ谷村、宅部村が合併して狭山村が成立】と分かりましたが、それ以前の「狭山」の足跡はぷっつり。1875年というのは、「狭山会社」の設立年と同じです。何か関連があるのでしょうか?

■仮説:狭山市の由来
 「狭山」という言葉が、渡来人の武蔵野国への移住(集約)に合わせて、河内→武蔵と伝わり、武蔵野国の何処かに「狭山」という地名が生まれたのではないでしょうか。

 今まで調べて分かった、近在の古い「狭山」という地名は、現埼玉県入間市の「元狭山村」と現東京都の「狭山村」ですが、おそらくそれ以前にも「狭山」という地名がこの辺にあったのではないかと考えていたのですが…

 狭山茶→旧神奈川県北多摩郡狭山村=狭山会社→入間川村周辺にも狭山茶栽培地広がる→入間川村周辺が市制化→んじゃ狭山茶の狭山から狭山市にしちゃえ!

 …と、先ずは「狭山茶」ありきで、それ以前のルーツを無視して、当時の入間川周辺の為政者(村長連と言われています)が新市名に「狭山」という名を選んでしまったのが、そもそもの【間違い】!

 しばらくは、旧神奈川県北多摩郡狭山村と狭山茶(狭山会社)関係を探るのが狭山市の名前のルーツ探しとなりそうです。1つ言えるのは、大阪狭山市の狭山池とその名前の方が、遥かに昔に存在していたということです。この間を埋めるミッシングリンクは、さて誰の手によるものでしょう?

■後ヶ谷村・宅部村
 何と!狭山市のルーツを秘めた土地は湖の底に!!

  http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinorekisi/edo/muragiri/muragiri.htm

 ↑の「村にまとめられた(村切り=市町村合併の最初の姿)」辺り。宅部村の半分ぐらいは堰から下流のようです。17世紀の文献にまで言及されていますが、残念ながらこれらの中に「狭山」の名は見当たりません。

 因みに、11年前まで宅部村に当る場所にある(シャチョーの名字が私と同じの(^^;)会社に勤めていましたが、ここらが狭山と呼ばれていたとは知りませんでした。

 因みに因みに、上記の湖は「狭山湖(山口貯水池)」で、隣にある多摩湖(村山貯水池)と合わせて「ルパン3世カリオストロの城」の元ネタになった場所と言われています(ヲタネタスマソ)。また、山口貯水池の「山口」、村山貯水池の「村山」は、かつて周辺の地に勢力を張っていた武士集団:「武蔵七党」の「村山党」「山口党」から来る地名に由来しています。今勤めている会社は、かつて西武線下山口駅近くにありました。

■武蔵七党

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E4%B8%83%E5%85%9A

 【武蔵国は駿馬の産地であり、多くの牧が設けられていた。その管理者の中から、多くの中小武士団が生まれた。】

 う~ん、以前書いた「甲斐の黒駒」の御牧に通じるものを感じます。ひょっとして渡来系騎馬民族の末裔の集団?

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%96%90%E3%81%AE%E9%BB%92%E9%A7%92

…あぁ、また発散してしまった。その内伝奇SF漫画のネタにでもしようっと(^^;

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コメント

ちなみにその村山という名自体が狭山丘陵の別名との説もあります。
んで、東村山は村山(狭山丘陵)の東側にあるので東村山という名になったのだと言う話を聞いたことがあります。

投稿: 松本信男 | 2011年3月25日 (金) 23時38分

Wikipedia の村山党の記事には、

【平頼任が村山に住み、村山氏と名乗ったと言う。村山頼任の子孫とされる一族を村山党と呼ぶ。主な一族には金子氏、宮寺氏、山口氏、仙波氏などがある。彼らの名字の地(本貫)は、現在でも地名として武蔵村山市、東村山市、川越市仙波、所沢市山口などに残っている。】

おお、武蔵村山市、東村山市とも、村山党由来なんですね。宮寺というのは会社の住所ですし、金子という地名も今でも会社の近所に残ってます。元AX-1乗りのKさんのルーツもこの辺だったりして。

【室町幕府が成立すると、鎌倉公方や関東管領の支配が強くなり、応安元年(1368年)1月、河越直重を中心に武蔵平一揆を起こすがあえなく鎮圧される。】

入間市博物館の市の歴史のコーナーにも「武蔵一揆」が大きく取り上げられていました。

投稿: Pawpaw | 2011年3月26日 (土) 07時24分

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