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2012年7月29日 (日)

鏡山の謎③

今や川越の酒と言えばコレと言われる鏡山ですが、一旦「鏡山酒造株式会社」は廃業して現在は再生「小江戸鏡山酒造株式会社」となり、地産地消を目標に地道に努力を重ねているようです。

http://www.kagamiyama.jp/

そのルーツについて分かった事を以下にご報告しました。

http://pawpaw.cocolog-nifty.com/pawpaw_house/2012/02/post-8a6b.html

ところで、昨日川越時の鐘近くの舛屋さんで聞いた話では、元の鏡山酒造の創立には「久星」という名の組織だか人が関わっていたそうです。

調べてみたところ、現「蔵里」の計画段階の資料(↓)にこんな文がありました。

http://www.kuranokai.org/kagamiyama.pdf

【初代当主は新潟県上越市の出身の竹内栄吉氏で、農家の次男だったため農閑期に杜氏と一緒に埼玉県の西部地域の酒造蔵に働きに出ていた。天保14 年(1843)頃、現在の入間市に住み着いた。そこで近江商人の小林という人と久星(きゅうぼし)という屋号の酒造蔵を造り、この製造部門を担当することになった。その後、経営を分離することとなり、川越市豊田本にて独立した。
明治8 年には、自ら現在地に酒蔵を造って酒造屋を創立した。以後、当地で百年の間、品質第一を経営の基本として酒造りを続け、その酒は多くの愛好家により愛好された。
平成12 年9月に後継者問題等の理由により廃業となるまで、川越市を代表する造り酒屋であった。
「鏡山」という銘柄の由来は、近江商人が故郷の日野にちなんでつけた銘柄の中の一つである。鏡山は、その銘柄を受けついたもので、そもそもは琵琶湖のほとりにある山の名前に由来するものだった。歌人藤原定家の秀歌の一つに「鏡山映れる波の影ながら空さえ凍る有明の月」とあるが、詩情豊かな景観こそが鏡山のルーツである。】

新たな情報を列挙します。

1)鏡山酒造初代当主は竹内栄吉。
2)竹内氏は近江商人の小林氏と久星という屋号の酒造倉を起こした。
3)その後川越で独立した。

ここで知りたいのは久星酒造。検索して出てきたのは驚愕の事実でした。

この辺とか:http://blogs.yahoo.co.jp/maki57562000/31100912.html

1)久星酒造の主要銘柄は何と「国冠」。
2)久星酒造の初代は小林善七。
3)久星酒造の2代目が坂戸、狭山、川越野田に酒蔵を建てた。
4)戦時中に狭山以外は閉鎖。
5)灘に進出。
6)戦前は埼玉と灘の両方で製造していた。
7)昭和28年(1953年)に灘に集約。

何と、久星酒造の埼玉の蔵が狭山市(当時の入間川町)にあったんです! それは何処かというと、何のことは無い、狭山市のHPに情報がありました。

http://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/rekishi/jinjya/irumagawa_chiku/suijinjya-irumagawa.html

「鏡山のルーツを追っていたら、地元狭山市にたどり着いちゃった、どうしよう?」って感じです。そうえば、サティ(現イオン武蔵狭山店)になる遙か以前は、ここにはウイスキー工場があったのを覚えています。その時には既に久星酒造ではなく、久星酒造の施設を何処かの会社がウイスキー工場に転用したのかも知れません。これは追って調査の予定。

で、今日はそのイオンにお買い物。ついでに水神様を拝みに行きました。

P1000513

そこはイオンの駐車場の片隅と言っても良い場所で、後ろに見える柵の向こうが国道16号です。

P1000515

そう古くはなさそうですが…

P1000517

明治44年ですか。ウチの亡祖母が明治22年生まれですから、ま、新しいですね。ばあちゃん生きてたら話が聞けたのに、残念。

P1000516

雪■忠の■は十に唐に見えますが、そのような漢字が見当たりません。「塘」(とう、どう、つつみ)か、「糖」の略字かもしれません。

うわ~、こういう情報って、語り継がないと忘れ去られちゃいますよね。大切にしようっと。

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コメント

自己レスです

>雪塘忠

http://www7a.biglobe.ne.jp/~ky-sayama/irumagawa.html

上記記事が正しいとすると、碑文はかつて入間銀行頭取であった増田忠順氏の筆のようです。また、増田忠順氏は後に入間馬車鉄道の社長にも就任しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E9%96%93%E9%A6%AC%E8%BB%8A%E9%89%84%E9%81%93

いや~歴史って面白いですね!

投稿: Pawpaw | 2013年10月 2日 (水) 09時41分

鏡山酒造の竹内さんの3代目は女の子の一人っ子。
わたくしと同級生でした。
日本画家になったのかな?たしかに「あたしが蔵を継ぐ!」というタイプではなかったです、、、ざんねん。
唐突に失礼いたしました。

投稿: | 2018年6月26日 (火) 10時25分

おお、どなたかは存じませんが、情報ありがとうございます!

投稿: Pawpaw | 2018年6月26日 (火) 11時36分

旧鏡山酒造はつぶれていません!!!

止むを得ずの自主廃業です。
(廃業の理由は正しいことが書かれている記事を今までに読んだ試しがないですが)

上記の件だけは言わせといて下さい。

あと、細々と間違いもあるけれど、うちのことを本当によく調べて下さっていることに心より感謝し黙ります。

投稿: 旧鏡山酒造 竹内文子 | 2020年4月21日 (火) 11時55分

お名前から察するに関係者様でしょうか。少ない資料から推測も交えて作成した記事に、表現が微妙であった点、内容に間違いがあった点等、お詫びいたします。

川越は祖母と母の生地で、母校の所在地なので、その歴史にはそれなりに思い入れがあるのですが、ネットで調べた程度ではなかなか真実に行きつけるものではなく、歯がゆい思いをしています。

投稿: Pawpaw | 2020年4月21日 (火) 14時43分

川越にも思い入れがある筆者様がゆえの奥深い記事だったわけですね。
ありがとうございます!!!

川越は、私の故郷です。私も、川女までずっと母校は川越です。
(筆者様の書いた記事における間違いは、小江戸蔵里の計画段階の資料自体の間違いですから致し方ありませんよ)

一番デタラメなのは、2018年6月26日投稿のコメントの内容です。
旧鏡山の三代目は、私の祖父である竹内栄吉で、今、小江戸蔵里の展示蔵にも写真が飾ってあります。
私が、20歳になった年(1983)に亡くなりました。
一代目から三代目までは、竹内栄吉です。昔は、家督相続すると決まった時、改名して、歌舞伎役者のごとく、名前を引き継いだんですよ。
2000年の廃業当時、「せめて綺麗に終わりたい!!」と命がけで三つの酒蔵を残すために頑張った、三代目栄吉の孫、文子(あやこ)が私です。
蔵里で旧鏡山についての案内する企画も、いつか実現したいと思っている昨今です。
長々とすみません。

投稿: 旧鏡山酒造 竹内文子 | 2020年4月21日 (火) 22時22分

一ヶ所訂正します。
祖父栄吉が亡くなったのは、1984年でした。
祖父は83歳でなくなったので、つい、没年を1983年と書いてしまいます。10月生まれなんです。
たびたびすみません。(でも、旧鏡山は私にとって本当に大切なので)

投稿: 竹内文子 | 2020年4月21日 (火) 22時40分

コメントありがとうございます。2018年6月26日の匿名さんのコメントが間違っていたのですね。事情が分からず失礼致しました。旧鏡山酒造、現蔵里脇の路は高校当時朝夕通った通学路でした。今でもカメラ片手に川越散策する時は蔵里さんに寄ります。竹内さんの企画、楽しみにしています。それでは。

投稿: Pawpaw | 2020年4月21日 (火) 23時05分

あ!そうそう、川女といえば母、姪、姪の娘が川女です。姪の娘は今年から。兄と私が川高です。

投稿: P awpaw | 2020年4月21日 (火) 23時27分

コロナ蔓延下の今、東京から埼玉に向かうのさえ憚られます。蔵里も異例の臨時休業中ですしね。

そんな折、ネット上の旧鏡山に関する情報を見直したりしていましたが、いい加減な内容のものが多く辟易していました。筆者様の記述は、旧鏡山に対して真摯だったからこそ、何やかやと申し上げたくもなりました。

私が申し上げるのもおこがましいですが、今後も蔵里をどうぞ御贔屓に!!

私のボランティア的な企画として、コロナが蔓延する直前のタイミングで、沢山の方々にお越し頂けたイベントを御参考までに紹介させて頂きます。(下記URL参照)
https://www.machikawa.co.jp/1741

コメントへの御丁寧なお返事にも重ねて御礼申し上げます。

投稿: 竹内文子 | 2020年4月22日 (水) 11時50分

竹内さんへ

昨年末~年明まで仕事が忙しく、川越散策から遠ざかっていたところに COVID-19 禍です。早く収束することを願ってやみません。

ところで、鏡山の正確な情報(歴史)をネット上に残すなら、Wikipedia に記事を書くのも良いかもしれません。既に蔵里がらみで川越市産業観光館の記事がありますね。

ではまた!

投稿: Pawpaw | 2020年4月22日 (水) 15時15分

Pawpawさんへ

お返事ありがとうございます。

既に、沢山の鏡山に関する情報が溢れてしまっているネット上に、これ以上加筆する気持ちは残念ながらありません。

現時点で、一番、歴史的側面では正しいと思われることが書かれていると感じる、こちらにだけ書かせて頂きますが、御迷惑なら、どうか、遠慮なく削除して下さい!!!

日本酒の味や香りもネットで伝えられないのと同じように、先祖から受け継いだ旧鏡山への様々な想いはネットでは伝えきれませんしね。

鏡山一代目の出生地、上越市の坂口記念館に、1999年、寄附しておいた酒造りの古道具と共に、昨年は初めて、四百年以上歌い継がれてきた頸城の酒造り唄も披露しました。

旧鏡山への想いを込め、越後の酒造り唄を保存継承する活動もしています。

(新潟の酒販関係の方が撮影してyoutubeに上げたようです↓)
https://www.youtube.com/watch?v=Y9R-a24JRTo

COVID-19 禍の収束はもちろん、にいがた酒の陣の再開も切に願っています。

投稿: 竹内文子 | 2020年4月24日 (金) 12時12分

ご心情お察しいたします。また、拙ブログを評価いただき、ありがとうございます。コロナ禍が収まったら、レス頂いた中にある情報を辿ってみたいと思います。それでは!

投稿: Pawpaw | 2020年4月24日 (金) 16時34分

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