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2012年7月28日 (土)

さきたま古墳群

埼玉県の小中学生は1度は来させられると言われる「さきたま古墳群」ですが、私は訪ねる機会が1度もありませんでした。というわけで、リベンジ?です。

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先ずは博物館で基礎知識を身に付けます。例の国宝(金錯銘鉄剣)を先に見ちゃおうというのもあります。

最初の衝撃は意外にもこんな所にありました。

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博物館入り口の向かいにある名店「さかもと商店」さんが、24日の火事で全焼してしまったそうです。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/120724/stm12072420480008-n1.htm

ゼリーフライ食べたかったのに…

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イキナリの朗報。条件は限られますが、博物館なのに撮影可なんです。

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埴輪や、

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鉄製の馬具(実物)、

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出土品の実用時の想像図なんかも撮り放題。

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馬の埴輪に関しては、高句麗時代の古墳の壁画との類似が指摘されているようです。やっぱり埼玉県人には高句麗人の血が混じっているんだ!… またかい(^^;。

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で、これが国宝「金錯銘鉄剣」。驚くべき事に、これ実物なんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%8C%AF%E9%8A%98%E9%89%84%E5%89%A3

P1050504

金の象嵌が実に見事でした。

さて、それでは古墳見学に旅立ちましょう。

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万葉集にも詠われているそうです。

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園内はとても開放的で広いので、写真で見ると古墳の大きさが良く分かりませんが、実物はとても大きいです。

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全部紹介していると大変なので、金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳に行きましょう。ここと丸墓山古墳は頂上まで登れるようになってます。

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前方後円墳である稲荷山古墳の「方」の頂上から見た丸墓山古墳。

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稲荷山古墳の「円」の頂上にある「ここから出たんだよ」の展示。あれ?頂上に埋めたんでですかい?

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丸墓山古墳の頂上から見る忍城方面。

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丸墓山古墳の頂上はちょっとした木陰があって、風が通ると涼しくなります。

で、ですね。実はここは大國魂神社の本殿と丁度南北の位置関係にあるんです… というのが、西風氏の小説の未解決のネタ。新刊でその解説が成されるはずなのですが、何時出るやら…

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丸墓山古墳南面の階段の途中から。

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丸墓山古墳南面の階段の下から頂上を見上げます。暑くて、もう登るのイヤ(^^;。

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丸墓山古墳南面には、豊臣秀吉(石田三成)の忍城の水攻めのために作られた堤防が残っています。ちょっと前に映画にもなった「のぼうの城」にも描かれた水攻めの舞台ですね。

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公共工事で見つかった数千年前?(1400~3000年前と言われる)の蓮の種から見事に復活した蓮の子孫が植えられているようです。本家は程近い所の「古代蓮の里」。

http://www.ikiiki-zaidan.or.jp/kodaihasu/

というわけで、1500年ぐらい前の埼玉県人のルーツを訪ねたわけですが、いや~埼玉県って意外に凄い所だったんですねぇ。是非ここも世界遺産登録してもらいましょう!

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コメント

お久しぶりです。
利根川を挟んで群馬県太田市には東日本最大の前方後円墳である天神山古墳があります。個人的には何かの関連があったと思ってます。(時代が異なるのかな??)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

ちょっと話題が変わりますが
(1)太田といえばスバル。アイサイト2の試乗なども昨年体験しました。(^^;
(2)最近はこれの国内販売を期待してます。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.10151070477133467.458641.262447113466

投稿: 柳澤 | 2012年8月 4日 (土) 06時22分

>天神山古墳
あれは大きそうですね。盗掘されてなかったら稲荷山古墳に匹敵する歴史資料が眠っていた筈ですね。う~ん、残念。ここも是非一度行ってみたいです。

ところで、何時もの「ドッチを向いてる」ですが、天神山古墳は武甲山の方を向いているんじゃないかと個人的には思ってます(↓のおまけ②)。

http://pawpaw.cocolog-nifty.com/pawpaw_house/2012/04/post-093b.html

>アイサイト2
昔だったら「機械に頼るなんて」と思ったでしょうが、例のバス事故や昨日の関越の事故などを見るに、こういう技術が必要な人・時・シーンってあるなぁ… と思うようになりました。

>C-EVO
電気か内燃機かはともかく、スクーターって便利ですよねぇ。なので(ベスパみたいに手がかからないスクーターが)正直1台欲しいです。それが BMW のスクーターだったらかな~り幸せです。

投稿: Pawpaw | 2012年8月 4日 (土) 19時45分

前方後円墳というのは向きがバラバラなのだそうですね。興味深い問題です。

昔。同僚に古代史が専門の方がいたのですが、造り出しという部分が祭祀に使われ重要だったのではないか、とのことです。(というか墳頂に登るのは禁忌だったとも)。となるとお山の真横が正面ということにも見れます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%A2%B3

ちなみに古墳といえば埴輪がよく出土しますが埼玉県北部には異型の埴輪が出土してます。

本庄の哂う埴輪
http://portal.nifty.com/2011/05/20/b/

熊谷(元江南町)の踊る埴輪
http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=J21428X

なぜ埼玉に??不思議です。

投稿: 柳澤 | 2012年8月 5日 (日) 22時43分

>向きがバラバラ
亡くなった時期に合わせたのではないかという説を何処かで聞いたことがあります。

>造り出し
はいはい、横を向いたヒョウタンツギの口みたいなあれですね。

>哂う埴輪
ちょっと前に読売ネットに出ていて、今度行きたいな~と思っていました。出土した近くに前の会社の本庄工場があったりします。

>なぜ埼玉?
それだけ早い時期から中央(ヤマト政権)との結びつきが強かった、中央もこの地域を重視していた、と言う事でしょうか。それゆえ、大陸や半島からの技術・文化や、中央の強大な力を示す大きな墳墓等をいち早く取り入れた(墳墓はやや遅れてハヤリますが…)と。

ただ、この辺を語りだすと、日本の歴史の中で渡来人をどう位置づけるかによって、半島の国々の方々が喜ぶストーリーになるか、国粋主義者が喜ぶようなストーリーになるか、それこそ百通り千通りも出来そうで、にわか歴史ファンとしてはボカしておくことにします。何しろ、調べれば調べるほど、出てくる出てくる渡来人って感じですから(^^;。

日本人の遺伝子を調べた結果では、それ程半島の血は混じっていないとの報告もあるので、案外「真似が上手な日本人(真似るのも上手だが、それをより高みに持っていくのも上手)」という言葉が日本人の本質を射ているのかもしれません。

良く比較に出されるのが、江戸時代末の江戸の街並みを写した写真。同時期の某南大門付近の写真と大違い。

投稿: Pawpaw | 2012年8月 6日 (月) 08時27分

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