龍泉寺の謎
716年に駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野から高麗郡に集まった高句麗系渡来人ですが、各地の何処に住んでいたのか大体分かっているのは、甲斐、相模位で、駿河、上総、下総、常陸、下野に関してはどの辺に住んでいたか、少なくともネットでちょろっと調べた程度では良く分かりませんでした。
で、先の発見である高倉観音の余りの地理的・方位的なハマリ具合から、上記7国の内の上総に関しては、木更津市とか君津市辺りに居たんじゃないかというのが、ワタクシの妄想でございます。
http://pawpaw.cocolog-nifty.com/pawpaw_house/2013/01/post-7027.html
他にも何か無いかと探したら、日高市と君津市に共通してある龍泉寺というお寺が目に留まりました。実は「龍泉寺」という名の寺は全国に(中国にも!)沢山あるのですが、寺の近くの「栗坪」という地名と合わせると、こりゃ偶然というには符合しすぎです。
日高の龍泉寺は高麗神社よりちょっと南西です。
一方、君津市の龍泉寺は高倉観音の南東。
どちらも近くに栗坪という地名があります。栗坪という地名ですが、ざっと調べた限り、市レベルの直ぐ下に付くのは全国でもこの2箇所のみのようです。
埼玉県日高市栗坪
千葉県君津市栗坪
他に出てきたのはこんなところ。
京都府亀岡市旭町栗坪
山口県周南市徳山西栗坪
う~む、前2者の関係、とっても怪しい!(^^;
更に、君津の栗坪の近くに「芋窪」という地名があります(芋窪村は江戸時代にはあったようです)。芋窪は高麗郷には無いけど、東京都東大和市の多摩湖の南側にあります。
この地名も他では滅多に聞かない、割と珍しい地名と思います。
上記の地図で気になるのは、かつて勝楽寺があった狭山湖に近いという点。勝楽寺の縁起には百済系帰化人が密接に関係しているそうです。
http://pawpaw.cocolog-nifty.com/pawpaw_house/2012/03/post-69cf.html
http://pawpaw.cocolog-nifty.com/pawpaw_house/2012/03/post-0db5.html
高麗郷にある聖天院(しょうでんいん、正式名称「高麗山聖天院勝楽寺」)の元々(751年以降)の本尊は、高句麗系帰化僧である勝楽(しょうらく)が高句麗より持ち込んだ歓喜天(聖天歓喜仏)。勝楽寺の元々(716年)の本尊も阿弥陀如来と歓喜天。ということで、以下妄想。
『660年百済滅亡、663年白村江戦い、668年高句麗滅亡と続く半島での戦乱の中生まれた高句麗系移民と百済系移民(666年に朝廷が百済系遺民を東国に移住させたとの記録あり)が、現在の君津市辺りで仮住まいをしていたが、716年の高麗郡成立による高句麗系移民の高麗郡(栗坪)への移住と、それに前後して起こった百済系の一族による現狭山湖湖底の勝楽寺成立に呼応して、(芋窪付近に住んでいた)百済系移民は勝楽寺付近に移住した。国を超えて2者を繋いでいたのが仏教と帰化僧勝楽と小さな仏像であった。』
なんてどうですか?
まぁ、ぶっちゃけ、戦国時代のごちゃまぜやら、江戸時代の国替えなどで、日本国内の人々&地名は意外なほど移動して・させられているでしょうから、7~8世紀の渡来人の動向を現在の地名等から類推するのは無謀なんですが、もし類推・妄想が当たっていたらと思うと… そうでなくとも何らかの創作に使えると思うと、やはり妄想は止められませんネ!
小さな仏像には小さな神様が憑いていた、なんてね。
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コメント
私は深谷市立幡羅(はたら)中学校出身で実家の近所は旧幡羅村です。新羅と同じ羅が使ってあるので渡来系とする説が有力だと思っていたのですが、そうではないという説もあることを最近知りました。古代史は決定的な証拠がない場合が多いので困ります。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kodai-musashigaku/framepage8.htm
http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/kyodo/hatara11.htm
近所に熊谷市奈良(旧奈良村)もあるので、うちの近所は大和政権との結びつきが強かったこと(朝廷の出先機関?)が忍ばれます。
投稿: 柳澤 | 2013年1月18日 (金) 22時45分
後半はこちらにも既出でした。毎度です。
http://pawpaw.cocolog-nifty.com/pawpaw_house/2011/03/post-b3db.html
投稿: 柳澤 | 2013年1月18日 (金) 22時49分
どうも! ヒートテックを着たのに寒くてバイクに乗る気が起きない Pawpaw です!
>渡来系
東京都狛江市の狛江古墳群から始まった「狛江は高句麗人が作った街」説も、弥生時代の古墳が発見されて、徐々に弱まってきました。
「そもそも天皇家は」とか、「関東は渡来人が作った」とかの説が跋扈する&してきた日本の歴史ですが、中国の「東北工程」ほどの強力な反論を示すことなく、怪しい説には徐々にご退場願う、というのが日本人のスタイルのようですね。
ただ、にわか歴史ファンとか一般ピーポーは、問題の存在や論戦の境界線(最前線)が何処にあるのがが全然分からないわけで(せいぜい高校の歴史の教科書に「竹島には領土問題がある」とかかれる程度)、もうちょっとオープンにして欲しいと思う次第です。で、出来ればより中立的な立ち位置で、それを伝えてほしいです(Wikipedia なんかもかなり偏っているようで…)。
そういえば、ジブリの「もののけ姫」の製作秘話かなんかで、宮崎駿が「オレは蝦夷(えみし)の末裔なんだ」みたいなことを言っていましたが、あれは「オレは正統な日本人の末裔なんだ」という意味だったのかも知れません。
天頂様(天皇)の命(承諾)で神を殺そうとするジゴ坊+自分が作ったタタラ場とその民を守ろうとし、更に宿怨を晴らそうとするエボシ御前 vs もののけ姫+神々+精霊、そしてその間の「曇りなき眼」の持ち主アシタカ。そんな構図を設計した者の目こそ、濁っていたのではないか、今になってそんな気がしました。
そもそも宮崎駿の立ち位置は、手塚治虫のソレに近い(決して中立的な立ち位置ではない)と思います。そんな宮崎が今夏公開するジブリのアニメは、ゼロ戦の設計主任だった堀越二郎をモデルとしているそうです。「8/15 を含む夏」、「ゼロ戦の設計主任だった堀越二郎をモデル」の2つのキーワードを見るだけでも、「大丈夫か?」と問わずにいられません。もはや「紅の豚」を作った頃のように能天気ではいられない時代です。問題提起その物は評価するとしても、もし変な作品だったら、この作家も「そろそろご退場」願った方が良いのかも知れません。
★さて、最後に朗報。少なくとも個人レベルでは、「自分のルーツ探し」が、そろそろ可能になるようですよ。
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$99で個人のゲノム解析をやってくれるサービスで、Google の創設者の奥さんが始めた会社だそうです。面白いのは現時点でも肉親や親戚の検索が出来たりすること。この先 Google の技術力をもってすれば、「あなたのルーツは縄文人と高句麗と何故かペルシャ!」なんて結果を得られるようになるのも、そう遠い未来ではないでしょう。
投稿: Pawpaw | 2013年1月19日 (土) 08時25分
迅速な対応の上、情報量も多かったので、とても安心できました。梱包もすごく丁寧で美しさを感じました。
配送も早くて驚きました。ありがとうございました。
また、利用したいと思います。
投稿: ドルガバ tシャツ スーパーコピー 2ch | 2021年12月 1日 (水) 03時50分