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2013年8月19日 (月)

白鬚神社探訪失敗記

昨日の日曜日の事です。

Vespa で未踏の白鬚神社を訪ねようと出かけたです。3kmも走らないうちに、ウインカースイッチが右側に動かなくなりました(左側にはOKでした)。そのまま走っても良かったのですが、ケーサツに止められたりしたら嫌なので、ガレージに戻りました。

ウインカースイッチカバーを開けると、あ、やっぱり。以前も発生した故障なのですが、短絡防止用のキャップが外れて引っ掛かっていました。

これ、どうしよう? と良く見たら、無くても良さそうなので、念のためカバー側に接触による短絡防止用の絶縁テープを貼って、キャップは外してしまいました。チェックしたところOKみたい。

ところが、ここまでの作業で完全に汗まみれ。もはや再度出かける元気はありませんでした。


より大きな地図で 白鬚神社 を表示

未踏の白鬚神社、まだいっぱいあるんですよねぇ。

おまけ:倭姫命の足跡と白鬚神社、猿田彦

■倭姫命
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%A7%AB%E5%91%BD

 【天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされる】

■伊勢神宮
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE

 【『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である。】

■元伊勢
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E4%BC%8A%E5%8B%A2

■椿大神社(つばきおおかみやしろ)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 【社伝によれば、垂仁天皇27年、倭姫命に下った神託により、猿田彦大神の墳墓の近くに「道別大神の社」として社殿が造営されたのを創始とする。】

■猿田彦神社
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E7%94%B0%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 【日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。】

 【椿大神社の宮司は山本という姓で、猿田彦神社の宮司は宇治土公(うじとこ)という姓である。どちらも猿田彦神・大田命の直系の子孫であると主張している。】

 ※なつやすみの かんそうぶん: つばきおおかみやしろに いってみたいと おもいました(^^;。

 ※ところで、この大田氏と、大神神社の太田田根子(Pawpawによるペルシア系渡来人説あり)との関係や如何に? あっちは「田田」が姓のようなので、大田は田が一つ少ない姓(意味不明)なのかな? 古代は謎だらけ。

■白鬚神社
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AC%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 【社伝によると垂仁天皇の25年、倭姫命により社殿を創建したのに始まる。】

■猿田彦
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E7%94%B0%E5%BD%A6

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コメント

イヤー暑いですね。
日曜日の午前中に、クルマにフロントカメラを付けてたら汗だくでした(^_^;
取り合えず動作確認だけして、配線処理は後日と言うことで室内に逃げ込みました。

投稿: T也 | 2013年8月19日 (月) 18時08分

>暑い

外は暑く、財布の中は氷点下なので、つい出不精になってしまいます(^^;。

>クルマにフロントカメラ

何やら楽しそうな装備。ドライブレコーダー? それとも脇道から出る時の左右確認用でしょうか?

投稿: Pawpaw | 2013年8月20日 (火) 07時55分

>脇道から出る時の左右確認用
こっちです。
ナンバー外してステーを取り付けるだけという簡単なものです。
後は配線を固定するのにちょいと時間がかかりました。

>ドライブレコーダー
こっちは納車後すぐに取り付けました。
トヨタ純正品ではなくドライブマン720Sです。

投稿: T也 | 2013年8月20日 (火) 09時10分

>脇道から出る時の左右確認用

でしたか!

投稿: Pawpaw | 2013年8月20日 (火) 16時36分

先日娘の宿題に付き合って地元の史跡めぐりをしていたら近所で白髭神社を見つけました。うちの方にはないと思っていたので意外でした。
http://goo.gl/maps/mAumf

娘の宿題は指定された史跡を訪れて感想を書くものでしたが、私も知らないものもあり、有名ではないものの趣のあるものが残っているなと思いました(というのが親である私の感想)。

百庚申なるところも私は全然知らなかったのですが、「千と千尋」に出てきそうな雰囲気です。
http://goo.gl/maps/DVKHK

投稿: 柳澤 | 2013年8月20日 (火) 19時54分

たびたび失礼。
短縮URLの検索窓に住所が残ってしまいました。個人宅のものではなく、榛澤六郎成清の供養塔の住所です。ここも指定された見学場所でした。

投稿: 柳澤 | 2013年8月20日 (火) 19時57分

>深谷の白鬚神社

あ、本当ですね。これはマイ白鬚地図に未だ載せていない神社なので、後ほど載せておきます。情報ありがとうございます。

>実は

埼玉県神社庁で検索できたりします。

http://www.saitama-jinjacho.or.jp/

深谷には白鬚・白髭合わせて2社ありますね。紹介頂いた神社はこれ↓でしょうか。

http://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/10023/

>百庚申

わ、これは凄い。是非 Wikipedia の庚申塔の記事の写真に加えたいですね(やりません?(^O^)。

一方、個人的には、百庚申がある神社が八坂神社である点が気になります。多分江戸時代までは祇園社(祭神は牛頭天王(に加えて八王子、頗梨采女など))で、明治になってから八坂神社(祭神はスサノオ)に変えられちゃったんじゃないでしょうか。

今では牛頭天王の名は一般ピーポーは殆ど目にしませんが、夏に多い「天王様のお祭り」と言えば先ず間違いなく牛頭天王を指します。天王祭等「消された神様達への信仰の残り具合」から、その土地が、お上からの押し売りを大事にするか、あるいは先祖代々伝えてきた様々な信仰を大事にするか、何となく推測できて楽しいです。

因みに狭山の八幡神社内の摂社である八雲神社には、今も「牛頭天王」の石碑が建ってます(^^;。

http://pawpaw.cocolog-nifty.com/pawpaw_house/2012/01/post-9651.html

投稿: Pawpaw | 2013年8月20日 (火) 21時39分

>榛沢六郎成清

「秦」や「幡」の文字が入った姓には敏感に反応してしまうので(^^;、念のため「日本人の苗字7000傑」を参照したら、

http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

【7410 榛沢 約1,200 武蔵国榛沢郡榛沢郷発祥、丹党。中興系図は桓武平氏に収める。】

ということで、ここが出自(もしくは氏族の名が地名になった)なのですね。「ハシバミが群生する沢」の意でしょうか。

投稿: Pawpaw | 2013年8月21日 (水) 08時35分

> 是非 Wikipedia の庚申塔の記事の写真に加えたいですね

やってみましたw 百庚申自体は全国各地にあるようです。ちょっと不遜かもしれませんが早いもの勝ち(?)ということで。少し露出過多です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9A%E7%94%B3%E5%A1%94

>榛沢六郎成清
この地を治めていた方ですね。すぐそばの岡部には平忠度を討った岡部六弥汰がいました。熊谷の次郎直実公とも時代が少し重なるかも。榛沢六郎は畠山重忠と乳兄弟で重忠公と一緒に二俣川で討たれてしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E9%87%8D%E5%BF%A0%E3%81%AE%E4%B9%B1

投稿: 柳澤 | 2013年8月21日 (水) 20時50分

>庚申塔(Wikipedia)

お疲れ様&サンクスです! 正直、柳澤さんの写真が一番インパクトがあります。小説家やアニメ作家や漫画家の創作意欲を掻き立てそうです(ご当地アニメが出来たりして(^O^)。

>岡部六弥汰

Google Maps を見たら、榛沢も岡部も、そして勿論畠山も、深谷市の地名として残っているんですね。深谷市民の歴史を大切にする気風が見て取れます。埼玉工業大学の土地の殆どが岡部に入っているのも初めて知りました。

投稿: Pawpaw | 2013年8月22日 (木) 08時05分

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