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2017年5月 6日 (土)

飯能市下加治の白子神社

ベスパっちでサクッと行ってきました。

P1020230

うっかりして社の名前が見えませんが、白子(しらね)神社です。その縁起は以下の

http://www.hanno.jp/shirane-jinjya/

ここに!

http://www.hanno.jp/shirane-jinjya/yuisyo.html

白鬚神社だったんですね。御祭神も猿田彦命。因みにほぼ背の方向が高麗神社。

P1020232

拝殿です。簡素。

P1020233

本殿も簡素。

P1020236

どういう気持ちで建てたのかな。

■ちょっとした考察: 加治というと、入間市に元加治駅(西部池袋線)とか、加治小学校とかあります。元は一つの加治村だったのが飯能市と入間市に分かれたようです。

ところで、「下」と「元」は出来た時間的な差を表すか、地理的な違いを表すと思われます。分かれてできたのなら時間的な差ではなさそうで、地理的な違いだとすると、「下」と「元」は何を(何処を)基準に付けられたのか興味が湧きました。

高麗神社や聖天院が基準点だとすると、下加治の方が元(本)になりそうですので、(背理法的に)基準点は別にありそうです。

入間市には高台に高倉という地名があり、そのちょっと北が宮前。単に宗教的な建築物が高倉にあったのか、宮を構える程高貴な方の住まいがあったのか? 私は後者と考えていて、(そうでないとしても)宮の元(本・直ぐ近く)が元加治で、それより遠くが「下加治」と考えていますが、さてどうでしょうね?

でもって、後年、本庄市児玉町金屋に下加治の白髭神社(猿田彦命)を勧請と。

■自己反証:加治村と元加治村の成立は明治だそうで…

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9D%91

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9D%91_(%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C)

どちらも成立時に「加治」の名を持った村や地区は含まれていないので、一体どこから持ってきたのやら…

■反証の反証: 江戸時代の武蔵国図を見ると「下加治」村が載ってました。こっち(白子神社のある所)が先かな? 「下梶」と表記した地図もありました。一方、どれにも「元加治」は見当たりません。また、「高倉」は殆どの地図に載ってました。

■加治氏: ところで、地名の加治ではなく、姓名の加治氏は武蔵七党の丹党に属する一族だそうです。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%B0%8F

Wikipedia の記事でははっきりしたルーツは分かりませんが、例のアソコには答えがありました。

 http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02131b.htm

はい、高麗氏がルーツなんですね。一件落着?

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