仙波東照宮のシャガの謎②
1つ前の記事で、慈覚大師円仁さんがこの地に星野山無量寿寺を開き、後に河越茶と呼ばれるようになる茶を中院に伝えた際に、一緒にシャガも伝えたのではないか? そして、そのシャガの末裔が川越仙波東照宮の山門近くに生えているシャガではないか? という仮説を立てたのですが、何と!
①茶が伝わったのは中院。
②中院は仙波東照宮を建てる際に移築された。
③シャガを見つけたのは仙波東照宮山門脇。
④シャガが生えていた場所はかつての中院だったのではないか?
うわ、信ぴょう性が増しましたよカネコさん!
喜多院:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E5%A4%9A%E9%99%A2
中院:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%99%A2
仙波東照宮:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E6%B3%A2%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE
う~ん、先の巡回途中の川越成田山での勧誘で弘法大師空海さんにココロが傾いたのですが、やっぱ天台宗、特に慈覚大師円仁さんはスゲーと思います。あ、そうそう、伝教大師最澄さんと空海さんのゴタゴタの元となったのはコレです。
理趣経:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E8%B6%A3%E7%B5%8C
ま、その前に弟子取られたりしたようですので…
泰範:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E7%AF%84
とまぁ空海さんスゲーなのですが、その後入唐して9年も修行と経典収集に費やした円仁さんが持ち帰った教えは、空海さんを越えるものだったようです。
日本で最初の「大師」は円仁さんでしたし、その後しばらく天皇家は天台宗を信奉してましたし、天海+家康後の徳川家もしかり。あ、だから「成田山新勝寺」を喜多院の直ぐ脇に建てたのかぁ。競ってたんですね~ つか、9世紀からの因縁・怨念?
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